2017年3月9日木曜日

歴史の境目、「小保・榎津藩境」にぶらり。

藩境。
ここ大川市では二つの藩の境目があります。
久留米藩。もう一つは柳川藩。
ここで紹介する、「小保」は柳川藩に属していました。
藩境の反対側は「榎津」、こちらは久留米藩。
レトロな感じと調和している石柱。
立て看板ありました。
小保地区は歴史がいっぱい。

立て看板見つけました。
藩境の石列
 この石列は、藩境石と言い伝えられています。
江戸時代の小保地区は、久留米藩と柳河藩の藩境に位置し、宿場や港町として栄えていました。
現在も当時を偲ばせる建物が残っています。
 平成二年十一月にこの石列の発掘調査を実施しました。
現在、石柱は二十八本残っていますが、調査の結果、本来は二十九本であったことがわかりました。
石柱は、石質や大きさが異なっていますが、同じ間隔で、二箇所に穴があけられています。
この穴には横木が通されていたと思われます。
 石列が作られた年代は、はっきりしませんが文化八年(一八一二)測量のため、この地に立ち寄った伊能忠敬の測量日記に「右 八幡宮、左側 久留米柳川境石」と書いてあります。
この他、宝暦九年(一七五九)の「小保町絵図」の中に書かれており、一八世紀中頃には石列があったことがわかります。

大川教育委員会
と書かれています。

横穴、確かにあります。
あの伊能忠敬もこの地に訪れていたんですね。
ちなみに、近くには忠敬が停泊したといわれてる場所があるのですが、そこは撮影していませんでした。また後日。

今年、4月22日(土)・4月23日(日)には「小保・榎津藩境まつり」が行われます。
ぜひ遊びに来てくださいね。
時間が許す限り、できるだけ取材したいと思います。

場所は鶴新商店(鏡台のお店)の目の前にあります。

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