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2017年6月15日木曜日

「くどう食堂」にぶらり。

くどう食堂にぶらりです。
老舗感漂う。
定食屋さんで、佇まいがすごいオーラ放っています。
ドアを開け中に入ると、思った以上に広い空間。
店内に両替機とスロット1台置いてあるのがなんか印象的です。
ちなみにスロット機は「オオハナビ」のようです(自分はギャンブルやらないのでよくわかりませんが)。

いろんなメニューが並んでいます。
安い。
ラーメンとチャンポンが同じ値段なのが印象的です。皿うどんも同価格。
野菜を使用する分、チャンポンや皿うどんが普通であれば値段高いはずなんですが。
価格が450円基準なのかな。
写真には写っていませんが、お好み焼きや丼物もあります。
結構何でもありますね。
ホルモンなんかも置いてあり、焼き肉みたいなのもできそうです。
さすが定食屋。メニューの豊富さは抜群ですね。

ラーメンを注文。
ラーメン定食が650円だったのでそっちを注文したほうがよかったかなーと思ったりしましたが、まあいいでしょう。

さて来ました。
ラーメン、450円。
醤油系のタレのラーメン。
ばら肉チャーシューが特徴です。
スープはなんというか、インパクトがちょっとないかな。普通な感じ。
もうちょっと刺激がほしかった気もします。
ラーメン丼が家にあるのと一緒でちょっとテンションあがりました。

女性の方二人で切り盛りされてました。
一人の方は女優の夏木マリさんに雰囲気似ていて、おっ!てなります。
年代ものであろう、誰が書いたかわからないサイン色紙が壁にいくつも飾ってあったのが印象的です。

メニューがたくさんあったので他の食べてみたいですね。

くどう食堂
営業時間:(調査中)
定休日:(調査中)
電話番号:0944-86-5527
住所:大川市大字中古賀491

2017年2月4日土曜日

ぶらり、歴史。緒方将監と「不動明王」。

歴史のお勉強の時間です。

左が奥の院。
ぶらり、中古賀。
前々から気になっていたところに足を運んでみました。
その名も「不動明王岩谷寺奥の院」。
なんか、かっちょいい。
Google Mapのストリートビューからは、全然見えません。
見えないなら行くしかないということで足を延ばしてみました。

ストリートビューで見た光景を頼りに無事到着です。
「もしかしてここの細い路地を入ったところかなぁ?」
そこはちょっとした公園でした。
なかなかの遊具が揃っている。

違ったかなーと思い、振り向いたらありました。
お墓と、奥の院とお地蔵さん。
このお地蔵さんはいったい・・・。
立て看板見つけました。
「緒方将監(しょうげん)惟道」の墓、だそうな。

ここから引用。
緒方将監惟道の墓
この墓所には道海島や潟島(川端通り)の開拓者、緒方将監惟道とその夫人が眠っています。
将監は初め豊後(大分)の大友氏の家臣でしたが、後に中古賀に移り住みました。
将監は、文禄の頃(一五九二~九五)村辺の潟地約七ヘクタール余りを開拓、ここを潟島と名付けました。
開拓はその後も進み江戸時代初期ごろには、二十ヘクタール程にも広がりました。
また慶長十五年(一六一〇)、将監は筑後川に浮かぶ島をめぐって肥前勢とたびたび戦い、ついには勝利を収めました。
やがて約五十ヘクタールを開き、この地に中古賀の人たちを移し、道海島と名付けました。
将監は中古賀と道海島の二村を収め、農耕を大いに奨励したと伝えられています。
 将監は寛永十七年(一六四〇)に没しましたが、村人たちは文政五年(一八二二)、その遺徳を偲び墓所の近くに鎮誠霊神(後に緒方霊社)を建立神社はその後、将監の旧宅跡に諸神と合祀され中古賀神社と改称されました。
 平成二年十月十四日、将監の没後三百五十周年を記念して墓地の改修が行われました。

大川市教育委員会
引用終わり。

初めて知りました、緒方将監という人を。
文中に出てくる、川端通りは今は中古賀の一部です。
道海島は1610年頃にはあったんですねぇ。
1603年に江戸時代が始まるわけですけど、その7年後にはすでに。
しかしながら、立て看板の文章読みにくかったです・・・。
もうちょっとわかりやすい文体にならないものか。

中古賀神社は立ち寄ろうと思いましたが、道中で迷ってしまって・・・。
なにぶん行ったことがない土地でしたから。
大川の歴史、まだまだありそうですね。

場所は吉田屋呉服店の左隣り。
細い路地を入ったところにあります。


不動明王岩谷寺奥の院