2017年2月28日火曜日

コラム:「門前遊園地」北側建物火災について

2017年2月27日・12時45分頃、大川市下牟田口(エリア木室)で火事が発生していたようです。
場所は、「門前遊園地」北側とのことろだそうです。

「門前遊園地」は以前このblogで訪れたことがあります。
http://ookawa-burari.blogspot.jp/2017/02/blog-post_8.html
記事では「門前遊園地」のことを

遊具が老朽化してるようなので、事故でも起こったら心配です。
なかなか広いので、ちょっと遊ぶぐらいには便利な感じがしました。
と書いてました。
事故どころか北側で火事が起こってしまいましたね(苦笑い)。
そのためか、「門前遊園地」で検索してきたのか、「門前遊園地」記事のアクセス数が急激に増加。
今まで一人二人ぐらいしかアクセスなかったのに・・・。
嬉しくはありますが気持ちは複雑です。

2017年2月27日月曜日

お城跡、津村「八幡神社」にぶらり。

大川にもお城が存在していたみたいです。
しかし、今は見る影もなく。跡地として残っています。

いくつか存在していた中から、今回は津村城。
八幡神社。
ここ、八幡神社があるところは、二ノ丸があったところと考えられているようです。
境内はかなり広く、神社裏にはゲートボールができそうなぐらい広いスペースがあります。

神社近くの近くの民家に立て看板がありました。

引用。

  津村城跡

大川には戦国時代、酒見・榎津・津村に城が築かれていた。
 津村城に関しては、天正六年(一五七八)の筑後国領主付に津村大助二十四町所領の記録がある。
城址の位置は、八幡神社近くの字城跡といわれている。
周辺の掘割と字二ノ丸の地名は内堀・外堀・二ノ丸の遺跡と想定されている。
 津村大助秀門は、俵藤太秀郷の正統・栗木民部大助秀政の子孫で、右京大輔秀保のとき九州に下向し、大友の幕下となり津村城を築いて、津村を氏としたという。
 天正六年十一月、龍造寺隆信の筑後侵入で滅亡し、大助の子秀千代は城を逃れ、浮羽郡に居住し内記と改名、内記の子を宗仙といい、宗仙の子、三郎左衛門は再び津村に来住し、庄屋となった。
江戸期の地誌、南筑明覧には、大野島の開拓にも従事したと記されている。
 この地一帯から宝篋印塔(納経から墓碑となる)城の礎石や、鬼瓦の一部と推定されるものが出土する。

大川市教育委員会
引用終わり。

ここに登場する、津村三郎左衛門。大野島開拓が津村三郎左衛門によって、慶長六年(1601)に始まったとされています。参考程度に、江戸時代が慶長八年(1603)に始まったとされています。大野島の話はまた今度。
津村城を偲ばせる石垣。
津村城跡は、礎石や掘割ぐらいしか残っていなくて寂しいですがそれでもここらに城があったことは事実なようで。
こういうところに訪れるのもいいのかなとか思いました。

イチョウ。樹齢500年。
そういえば、あれありました。「大川市名木・古木百選」。ここにはなんと2つも!
まずはイチョウの木。
「指定番号:51・イチョウ」、樹齢は500年。

そして、クスノキ。
クスノキ。でかい。
「指定番号:27・クスノキ」、樹齢はイチョウと同じく500年。
二つに共通するのがやはりでかい!!撮影するのにかなり後ろに下がった覚えありますね。全体像を入れるにはなかなか難しいです。
さがれる余裕があるぐらい境内は広いということで。

場所に余裕があるので、夏にはここ八幡神社で夏祭りが開催されているようです。
地元民の楽しいイベントですね。

神社をつなぐ橋。新しくなりました。

八幡神社

2017年2月20日月曜日

安くてボリューミー!「餃子の王将・榎津店」でぶらり。

餃子の王将。

餃子業界では言わずもがな、な「餃子の王将」です。
ここ「餃子の王将」大川榎津店は、直営店舗ではなくフランチャイズ。
もともと、焼肉屋さんだったところが、王将になっています。
オーナーは変わっておらず、夜のメニューでは焼肉も食べることができるようです。
すでに2人前食べていて、この写真で4人前。

「王将」 来たらやっぱり餃子!というか、餃子以外食べないな・・・。
圧倒的サイズ感!「餃子の王将」の餃子は、ほかの餃子屋さんに比べ、1.5倍ぐらいの大きさな気がします。
一人前6個入りで237円(税込)。実質9個入ってるようなものですな。
それでもペロッとなくなっちゃうので、二人前注文しています。
ごはん(写真は中盛り、173円)も一緒に頼んで至福の時です。

安くてボリュームたっぷり。学生さんの味方ですね。
今日は一人で二人前+二人前を注文し、おなか一杯。
大満足です。
夜の「王将」。

餃子の王将 大川榎津店
営業時間:11:30~14:30、17:00~22:30
定休日:火曜日
電話番号:87-8929
住所:大川市大字榎津[字中曽利]156-4

2017年2月16日木曜日

隠れたパワースポット、「住吉神社」にぶらり。

住吉宮にぶらり。

住吉神社。

Googleストリートビューで見られないところを訪れてみよう週間です。
住吉神社にやってきました。
地元の人しか知らないような場所にあって、神秘的です。
大川市内によく生えてるクスノキ。
大きなクスノキがありました。
樹齢推定200年と書いてあり、この神社も一緒ぐらいの時代なんだろうと思います。
大川市には「大川市の名木・古木百選」があって、こちらのクスノキは「指定番号:32」となっています。百選探しても面白そうですね。
気に留めて探してみたいと思います。

しかしながら、このクスノキデカい!!
写真を撮影するために、かなり後ろまで下がっています。
出来るだけ全体像を撮りたいですからね。

アクセス自体は大変悪いものになってます。回り込んでいかないと、たどり着けません。
若津港の近くで、雄大な筑後川が流れています。

2017年2月8日水曜日

神秘的!?「石上神社」にぶらり。

水の上に浮かぶ神社

鳥居がないと地味、か?
曇り。あまり写真映えする天気ではありませんが、ぶらり。
鳥居がありません。「石上神社」と言うそうな。
イメージとかなり違う神社ですね。なんかドアも現代的だし。
とある石柱には文久元年(1861)とあり、そのころから存在したのなら、150年以上の歴史がある神社と言えます。
クリークの上に島(?)があり、そこに鎮座している神社。
どことなく神秘的です。しめ縄もあり、神聖な空間なんでしょう。
生活排水が流れていたためか、ちょっと濁ってたのが残念でしたね。
神秘的でまた訪れたいと思わせる場所でした。

さてさて。

直線距離で600m以上ありますか、「門前遊園地」にやってきました。
門構え。古(いにしえ)感漂う。
大川市内で唯一の遊園地(!?)なのかはわかりませんが、名前にしっかりついてますね。
一般的に想像されるような遊園地ではなく、普通の公園みたいな感じです。
ブランコや鉄棒等、4つの遊具が設置されています。
ここら周辺は、「門前」と呼ばれているようで、門前の名を冠してます。(近くに門前公民館がありました)。
遊具が老朽化してるようなので、事故でも起こったら心配です。
なかなか広いので、ちょっと遊ぶぐらいには便利な感じがしました。

2017年2月4日土曜日

懐かしいラーメン屋「幸陽軒」で、ぶらり。

夜です。

お腹減ったので、夜の街をぶらり。
右2軒隣りには「豚八」が。
「幸陽軒」です。
老舗感出てます。それもそのはず、創業昭和41年(と入口に書いてありました)ですから!昭和41年というと、約51年前ですか?ビートルズ来日と一緒らしいですよ、奥さん。

小学校の低学年の時に来て以来、今回で2回目。
おばちゃん2人が切り盛りしてて忙しそうでした。
昔ながらのラーメン。
注文がたくさんだったみたいで、ゆっくり待ちます。
「幸陽軒」はここ大川だけではなく、お隣の柳川市にも一店舗あります。
そっちが本店なのかな?

お味は、昔ながらの優しいラーメンって感じですね。
豚八は「The こってり」って感じだったんですけど、こっちはあっさり系。
近くにあっても客層が違うのかなぁと思いました。
断面が四角形と、わりと珍しい麺が特徴的です。
メニュー表。次はどれ食べようかなぁ。
幸陽軒
営業時間:11:00~14:30、17:30~22:00
定休日:第2、第4水曜日
電話番号:0944-87-0572
住所:大川市大字一木621-16

ぶらり、歴史。緒方将監と「不動明王」。

歴史のお勉強の時間です。

左が奥の院。
ぶらり、中古賀。
前々から気になっていたところに足を運んでみました。
その名も「不動明王岩谷寺奥の院」。
なんか、かっちょいい。
Google Mapのストリートビューからは、全然見えません。
見えないなら行くしかないということで足を延ばしてみました。

ストリートビューで見た光景を頼りに無事到着です。
「もしかしてここの細い路地を入ったところかなぁ?」
そこはちょっとした公園でした。
なかなかの遊具が揃っている。

違ったかなーと思い、振り向いたらありました。
お墓と、奥の院とお地蔵さん。
このお地蔵さんはいったい・・・。
立て看板見つけました。
「緒方将監(しょうげん)惟道」の墓、だそうな。

ここから引用。
緒方将監惟道の墓
この墓所には道海島や潟島(川端通り)の開拓者、緒方将監惟道とその夫人が眠っています。
将監は初め豊後(大分)の大友氏の家臣でしたが、後に中古賀に移り住みました。
将監は、文禄の頃(一五九二~九五)村辺の潟地約七ヘクタール余りを開拓、ここを潟島と名付けました。
開拓はその後も進み江戸時代初期ごろには、二十ヘクタール程にも広がりました。
また慶長十五年(一六一〇)、将監は筑後川に浮かぶ島をめぐって肥前勢とたびたび戦い、ついには勝利を収めました。
やがて約五十ヘクタールを開き、この地に中古賀の人たちを移し、道海島と名付けました。
将監は中古賀と道海島の二村を収め、農耕を大いに奨励したと伝えられています。
 将監は寛永十七年(一六四〇)に没しましたが、村人たちは文政五年(一八二二)、その遺徳を偲び墓所の近くに鎮誠霊神(後に緒方霊社)を建立神社はその後、将監の旧宅跡に諸神と合祀され中古賀神社と改称されました。
 平成二年十月十四日、将監の没後三百五十周年を記念して墓地の改修が行われました。

大川市教育委員会
引用終わり。

初めて知りました、緒方将監という人を。
文中に出てくる、川端通りは今は中古賀の一部です。
道海島は1610年頃にはあったんですねぇ。
1603年に江戸時代が始まるわけですけど、その7年後にはすでに。
しかしながら、立て看板の文章読みにくかったです・・・。
もうちょっとわかりやすい文体にならないものか。

中古賀神社は立ち寄ろうと思いましたが、道中で迷ってしまって・・・。
なにぶん行ったことがない土地でしたから。
大川の歴史、まだまだありそうですね。

場所は吉田屋呉服店の左隣り。
細い路地を入ったところにあります。


不動明王岩谷寺奥の院

2017年2月2日木曜日

新田大橋近くで、ぶらり。純豚骨らーめん「豚八」

お昼時。
写真の2軒左隣りには、またラーメン屋が。
ラーメン屋にぶらり。
純豚骨らーめん「豚八(とんぱち)」にお邪魔しました。

これは昼のメニュー。夜は焼肉もやってるようです。
先客が2人。
そして、自分が入ったのと同じタイミングで、あとから2人。
500円(税込)のラーメン(並)を注文。
揚げた謎のカリカリが特徴。背脂を揚げてあるのかな?
最近はワンコインで食べられなくなったなーと思いながら、ラーメンが来るのを待っています。
ストレート中細麺に濃厚豚骨。
豚骨臭は強いわけではないけど、やっぱり鼻につーんとくる。
謎のカリカリ(ラーメン左側)が気になります。なんか揚げてあるのでしょうけど。
スープが濃いので、舌の上に重量感がどことなくあります。
ご馳走様でした。

会計時「500万円ねー」と冗談も飛ばす、店長。
ただ、素足にサンダルしてたのを「靴下履いたほうがいいですよー、寒いですからねー」っていうの。親切心なんでしょうけど、ちょっと蛇足かなと思いました。
自分が靴下や靴みたいなので足が開放的でないものが好きではないので、「余計なお世話じゃ」と内心。
悪気があったわけではないのはわかるんですが・・・。


雄大な新田大橋を眺めながら、この記事の終わりとしたいと思います。
川口と大野島をつなぐ橋、新田大橋。
純豚骨らーめん 豚八
営業時間:(調査中)
定休日:(調査中)
電話番号:(調査中)
住所:大川市大字一木621-14