歴史のお勉強の時間です。
その名も「不動明王岩谷寺奥の院」。
なんか、かっちょいい。
Google Mapのストリートビューからは、全然見えません。
見えないなら行くしかないということで足を延ばしてみました。
ストリートビューで見た光景を頼りに無事到着です。
「もしかしてここの細い路地を入ったところかなぁ?」
そこはちょっとした公園でした。
なかなかの遊具が揃っている。 |
お墓と、奥の院とお地蔵さん。
このお地蔵さんはいったい・・・。 |
「緒方将監(しょうげん)惟道」の墓、だそうな。
ここから引用。
緒方将監惟道の墓この墓所には道海島や潟島(川端通り)の開拓者、緒方将監惟道とその夫人が眠っています。
将監は初め豊後(大分)の大友氏の家臣でしたが、後に中古賀に移り住みました。
将監は、文禄の頃(一五九二~九五)村辺の潟地約七ヘクタール余りを開拓、ここを潟島と名付けました。
開拓はその後も進み江戸時代初期ごろには、二十ヘクタール程にも広がりました。
また慶長十五年(一六一〇)、将監は筑後川に浮かぶ島をめぐって肥前勢とたびたび戦い、ついには勝利を収めました。
やがて約五十ヘクタールを開き、この地に中古賀の人たちを移し、道海島と名付けました。
将監は中古賀と道海島の二村を収め、農耕を大いに奨励したと伝えられています。
将監は寛永十七年(一六四〇)に没しましたが、村人たちは文政五年(一八二二)、その遺徳を偲び墓所の近くに鎮誠霊神(後に緒方霊社)を建立神社はその後、将監の旧宅跡に諸神と合祀され中古賀神社と改称されました。
平成二年十月十四日、将監の没後三百五十周年を記念して墓地の改修が行われました。
大川市教育委員会
引用終わり。
初めて知りました、緒方将監という人を。
文中に出てくる、川端通りは今は中古賀の一部です。
道海島は1610年頃にはあったんですねぇ。
1603年に江戸時代が始まるわけですけど、その7年後にはすでに。
しかしながら、立て看板の文章読みにくかったです・・・。
もうちょっとわかりやすい文体にならないものか。
中古賀神社は立ち寄ろうと思いましたが、道中で迷ってしまって・・・。
なにぶん行ったことがない土地でしたから。
大川の歴史、まだまだありそうですね。
場所は吉田屋呉服店の左隣り。
細い路地を入ったところにあります。
不動明王岩谷寺奥の院
参考になりました。
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